中国ビジネスの次の潮流


 潮流という言葉は中国でよく聞きます。時代の潮流にうまく乗れた人・企業がリーダーになったり、大富豪になったり、次の潮流を作り出したりしています。

 株式市場では「今回の経済危機は違う」という人がだいたい失敗するように、歴史を知らないと未来が予測できません。

 40年前の日本は一億総中流と言われています。

 40年前の中国は12億総貧困と言ってもいいでしょう。

 みんな横並びの貧困だから幸せそうに暮らしていました。経営管理のKもわかりませんでした。そもそも市場が閉鎖的で、供給と需要が国が決めていました。創意工夫の余地もありませんでした。

 鄧小平氏がここ40年、未来50年の中国の潮流を作った第一人者と考えています。中国では「鄧公」と尊称されています。

80年代:郷鎮企業の潮流

 郷鎮というのは行政の末端の自治区で、村よりすこし上です。
 中国では日本のみなさんがなじみのない戸籍制度というものが存在しています。農村戸籍の人が簡単に都市には転籍できませんでした。不公平だが、必要悪です。10数億もある人口の移動を制限しないとどうなるかと思いますか。少なくとも自民党や立憲民主党が手も足もでないでしょう。
 しかし、この戸籍制度が存在しているがために、農村部には大量な余剰労働人口が残っています。なのに、産業も資本もありません。
 そこで郷鎮企業が生まれました。中国南沿海部の浙江省、江蘇省、福建省、広東省では大量な郷鎮企業が出てきて、「余剰労働力の解消」のみでなく、「地方経済の発展」にも大きく寄与しました。例えば、福建省が台湾に近いため、OEMの靴メーカーがかなり発展しました。下図は95年までの国営企業と郷鎮企業の対工業生産のシェア推移です。
 
出典:http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/china/05/02.html

90年代:下海(役人が個人事業主に)の潮流

 80年代の郷鎮企業はまだ政府主導のにおいが残っていますが、90年代以降、中国の市場経済が爆発的な成長を見せました。
 1992年、鄧小平が武漢、深圳、珠海、上海などを視察し、一連重要な声明を発表しました。これは中国現代でもっとも重要な1つの出来事です。いわゆる「南巡講話」です。このおかげで、全国から深圳にやってきた官僚が数百万人に登っています。国営企業、政府内の人がこのような情報にいち早く反応しています。月給数十元~百元(800円~2000円ほど)しかもらえない役人たちが退職あるいは休職して、企業を起こしました。「中華工商時報」によると、92年だけで、10万人ぐらいの幹部が下海しました。
 最初に下海した人が今日(こんにち)の金持ち二世の親になっているのも多いでしょう。
 市場経済の初期段階、情報のアンバランスで今では想像もできないチャンスが転がっていました。

90年代:株式市場

 中国の株式市場は実は90年代からオープンしました。90年代の株式市場は天国でした。下図は上海総合指数の90年~20年までのチャートです。暴落があったものの、100から2200元まで20倍上がっています。

 この時、一番値上がったのは軽工業株でした。

2000年代:不動産とインターネット

 タイムマシン経営が孫さんの十八番でした。日本でバブルで売り抜けて、2000年に中国で買えたタイムマシン経営者がいるのでしょうかね。
 不動産ブームの背景は中国では昔不動産が政府主導で分配していました。特に政府の役人、教師たちが恵まれていました。97年アジア経済危機後、国務院(総務省)が不動産の配給制度を停止しました。そこから不動産エンジンが始動しました。今の中国不動産時価総額は65兆ドルです。アメリカが30兆ドル、EUが20兆ドル、日本は10兆ドルです。つまり中国が残りの合計になります。大丈夫かな、BEKE・・
 
 不動産と同じスピードで邁進しているのはインターネット産業でした。
 
 98年にSINAがYahooモデルを手に入れた。
 98年にQQ(テンセント)がMSNを真似
 00年にBAIDUがGOOGLEをターゲット特定
 03年にTAOBAO(BABA)がEbay方式をStart
 09年にWEIBO(SINA)がTwitterをコピー
 12年にDIDIがUberを・・・・(しかも中国Uberを買収まで)

 ほぼすべての成功したアメリカインターネット企業が中国で容易に分身を見つけることができます。

2010年代:インターネット企業と資本の結合

 テンセント、PDD、BABA、JD、DIDI等、10年に入った後、3Gと4Gの普及で、インターネット企業の遊び方が熟練になってきています。米国Ivy League卒のエリート帰国者がまだ手つけていない既存産業(外食?ライドシェア?不動産?)を洗い出し、入念にPowerPointで綺麗な企画書を書き、ファンドを見つけ、融資+短期間で資本の暴力でシェア拡大、規模効果でライバルを振り落とし、市場の寡占の繰り返しをしてきました。20年前の郷鎮企業の泥臭いやり方とは正反対です。OEMなんかやりません。とりあえずサプライチェーンのトップを制覇し、資金力に物を言わせます。

んで、次の潮流は?

 正直、私もわかりません。(すみません。ここまで読んでいただいたのに)
 ・90年代に政府の官僚をやめて、個人事業主を始めた人の度胸がすごいと思います。その人達が当時どんなことに気づけて、どういう理由で決断できたかをシミュレーションしたい。
 ・00年代に数百元の月収しかもらえない人がどんな気持ちで数十万元のローンを借りたか聞きたい。
 ・10年代にPDDやDIDIを立ち上げた黄さんと程さんに聞きたい。米国投資銀行等のピカピカのキャリアを捨てて、中国で企業起こした当時の心境を。

 時代の潮流が絶え間なく流れています。起業という選択肢が今の中華社畜には現実ではないが、潮流に乗れなくても、追随していきたいと思います。
 20年代までは中国が輸出メインで実態経済を牽引してきました。「内循環」という言葉が最近さまざまなメディアでの露出度が増えています。アメリカは経済がだめそうになったら、QEでドルを全世界に輸出し、商品やサービス価値を刈り取りするやり方は限界があるのかは答えがありません。中国もそれにずっと耐えています。実力をもっと高めないと逆らえないでしょうね。Swiftにしろ、ドル貿易決済にしろ、インターネット自体にしろ、Windows、IOS、Android等のOSにしろ、半導体技術にしろ、アメリカが主導権を握っています。その実力を高める唯一の方法は自身の経済の循環をもっとよくすることです。アメリカの消費力の高さがその証、しかもそれを世界範囲で循環させています。中国は「内循環」でまず円を小さく描き、それを徐々に大きく描いていきたいでしょう。そのために、必要な産業、ビジネス要素が次の潮流かと考えています。

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